新年にあたって

新年明けましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。

昨年は、映画「あなたへ」の影響もあって、海洋散骨への関心もぐっと高くなったように思います。新年を迎えるにあたり、改めて「供養」とは何か考えてみました。

ある雑誌に「供養」とは、人が共に食を与えることにより元気になるようす。と書かれていました。悲しみのあまり食も通らないことからできた言葉なのでしょうか?

この言葉を見つけた時、お母様を亡くし悲しみにくれていた友達のある一言を思い出しました。彼女はご主人の転勤でタイに住んでいました。当時私たちは、毎年仲の良い友達で旅行することを楽しみにしていました。その時は、タイから日本に戻った友達と合流して、ハワイに行く予定でした。帰国当日の朝早くに、友達からお母さんが亡くなったと電話が入りました。友達はあと、一日早く帰国していれば、お母さんに会えたのにと何度も言っていました。それから数日、友達のことが心配で電話を何度となくかけていましたが、その時彼女はこう言いました。「ひろさん、ばーば(彼女はお母さんのことをこう呼んでいました)死んじゃって本当に悲しい。何もする気がしない。でもね、でもね、お腹はすくんだよ。悲しいけどばーばがご飯たべなさいって言ってるみたい。」と言いました。

まさしくこのことだと思い出しました。
どんなに悲しい気持ちでいても、元気になるために食べる。きっと亡くなった方もそれを望むのでしょうね。

「供養」とは本来そういうことだったのかもしれないとふと思いました。
そして、食べることに限らず、何か形にして手を合わせること。想うこと。
それも「供養」だと思います。そして自分を正したり、慰めたり、勇気づけたり・・。
その時間は、自分にとっても「供養」なのかもしれません。

仏教で「供養」とは、死者の冥福を祈って法会をおこなうこととなっています。
現在は、供養の形が変わってきているようにも思います。

私は、人それぞれの「供養」の方法があってもよいと思います。
ふとした瞬間に思うことも「供養」ですし、お写真に話しかけるのも供養です。
お花を飾ったり、お香を炊いたりとに日常的な「供養」から、法要に至るまで・・。
お骨を身につけることも「供養」です。

私の今年のテーマのひとつは「供養について考えること」です。
どんな形の「供養」にも寄り添いたいと思います。

その「供養」の一つですが、メモリアルスタイルのスタッフは散骨されたポイントで、今そこにいる方々にほんの少しだけお時間をいただいて、これまでに散骨されたご家族様の代わりに手を合わせさせていただいています。今年もそのお時間をいただいて、海に還って行かれた方を「供養」させていただけたらと思いお願いいたします。

「供養」のことで悩んだら、どうぞ私たちメモリアルスタイルのスタッフにご相談ください。喜んでお手伝いさせていただきます。

本年もどうぞよろしくお願いいたします。

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