「お父さん 約束を守ったよ」~東京湾個人散骨がありました~

S様が最初にメモリアルスタイルに御相談のご連絡をいただいたのは、ご主人様が亡くなってすぐの2010年の秋でした。遺言だった散骨をしてあげたいけれど、散骨のことが分からないということで 散骨スタッフがご説明したことを覚えています。

あれから2年あまりたち、その日を迎えました。

実は亡くなったご主人様のお母様のご希望で四十九日にいったんお墓に納骨をされたうえで、遺言に沿ってお骨をお墓から出して散骨することになっていました。

当初は昨年の秋の1周忌にあわせて散骨の予定でしたが、原発事故の影響でアメリカ在住のお嬢様の帰国がかなわなくなり延期。

今回福島原発の収束宣言を受けてお嬢様とお孫さまが帰国できることになり、散骨が決まりました。

お骨は散骨日の一カ月ほど前にお墓からお骨揚げし、そのままお預かりして準備をしました。お墓から出したお骨は湿っており通常よりも準備に時間がかかるためはやめにお骨を用意していただきました。

ご主人様は月島の出版社にお勤めで、仕事が終わるといつも銀座に飲みに出ていたそうです。

そのため乗船場は月島。お好きだったスコッチウィスキーを海にささげる内容になりました。

奥様が、御主人のお好きだったウィスキーのロックを作って差し上げて 海に捧げていただきました。
残ったお酒はお持ち帰りいただき、御自宅で奥様にも味わっていただきました。

当日は梅雨の中休みの晴れ。波もなく散骨日和になりました。船上からは東京スカイツリーも見ることができ、アメリカから帰国したお孫さまはとても喜んでいらっしゃいました。散骨は東京ゲートブリッジの下をくぐった先で、葬儀の時と同じお好きだった曲が流れるなか 2階スカイデッキからお別れしていただきました。偶然ですが、お嬢様はアメリカに帰国する前に 東京ゲートブリッジを歩いて渡る観光ツアーに申し込んでいたとのこと。散骨の時は涙でなかなかお骨を海にお還しできなかったお嬢様でしたが、「帰国する前に ゲートブリッジから 父に会えますね。ここで散骨してくださってありがとう」とおっしゃって笑顔で下船されました。

こちらこそ、このご縁にこころから感謝しています。ありがとうございました。

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